私にとってのFlying Finnは、Jarno Saarinen(ヤーノ・サーリネン)
二輪のGPライダーで当時500ccクラスで強かったMVのジャコモ・アゴスティーニとフィル・リードにYAMAHAの2st4気筒500で挑み1973年シーズン開幕から二連勝し好調にスタートしたシーズン4戦目のモンツァの250ccのレース中に他界。
そのままシーズンを送ってたらチャンピオンの可能性も有った。
彼のライディングフォームは当時リーンウィズが主流やったところにハングオンで華麗にコーナーを抜けていった。
事故後、病院で彼のレーシングスーツを抱きしめてたヤマハの監督の姿が印象的だったと雑誌が伝えてた。
サーリネンのサポートライダーとしてグランプリを走っていたのが金谷秀夫さん。
サーリネン亡き後、ヤマハのエースにはMVから引き抜いたアゴスティーニに。
しかし2stに慣れてないアゴスティーニがYZRをもてあましてる間に金谷秀夫さんが前半戦ランキングトップになるもマシン開発の名目で帰国。
そのまま走ってたら金谷秀夫さんが日本人初の500cc世界チャンピオンになってたかも。
当時ヨーロッパ文化であるモーターサイクルのレースでは日本人が日本車(ワークス)でチャンピオンになると反発が起きる可能性があるとかで急遽帰国させたと巷で噂になった。
後に片山 敬済さんがプライベーターでチャンピオンになった。
この頃の日本人ライダーって凄い人ばっかりでスポット参戦にもかかわらず表彰台にあがるもの珍しくなかった。
その金谷さんは国内のレースには日本グランプリだけ出てこられて走りを見せてくれた。
予選タイムは圧倒的やった。
最初のYouTube映像で動画に変わったところで金谷さんも写ってる。
ボクが乗ってた頃、興味があった頃はその後で、
片山敬済は全盛を超え、ケニー・ロバーツの台頭
エディー・ローソン、フレディ・スペンサー、平忠彦、
そして、ケビン・シュワンツ、伊藤真一のころまでですね。
あの頃はバイクがかっこ良くて、メーカーやチューナーも力入れていて面白かったな。
いまのビッグスクーターもいいんだけど、レーサーレプリカにも一度乗りたい。
あ、腹がつかえるか・・・
とらちちさん、こんにちは。
> あ、腹がつかえるか・・・
タンクの押さえが利いてよいと元HRCの阿部孝夫さんが言うてましたよ。(^_^)
とらちちさんより一昔前の世代ですわ。
まだ鈴鹿にカシオトライアングルが無い時代から見てました。
単車が最終コーナーをフルバンクで抜けてくるのは迫力ありましたよ。
ウエイン・レイニーvsケビン・シュワンツのサイドバイサイドを現場で見てて鳥肌でした。