昨夜、大阪城の周回路を一周だけした。
理由はお腹の様子を見て駆け込むかそのまま走るかを判断するため。
周回路をぐるぐる回るのは苦手やけど一周やと周回になれへん。
回って感じたのが公園内の遊歩道沿いに街灯が設置されたのか明るくなってた。
それと環状線沿いの道路にパイロンが立ってて駐車できないようにしてた。
なにか有るんやろか。
その後、西に向かって走り帰りに梅田の貨物線基地を見にいった。
開発はいつから始まるのかな。
始まる前に写真を撮っておきたい。
昨夜、大阪城の周回路を一周だけした。
理由はお腹の様子を見て駆け込むかそのまま走るかを判断するため。
周回路をぐるぐる回るのは苦手やけど一周やと周回になれへん。
回って感じたのが公園内の遊歩道沿いに街灯が設置されたのか明るくなってた。
それと環状線沿いの道路にパイロンが立ってて駐車できないようにしてた。
なにか有るんやろか。
その後、西に向かって走り帰りに梅田の貨物線基地を見にいった。
開発はいつから始まるのかな。
始まる前に写真を撮っておきたい。
鉄道輸送が華やかかりし頃、梅田貨物駅は不夜城のごとくにぎわい、D62牽引の貨物列車がきてたそうです。(親父の撮った写真があります)
D62やご購入予定のC62は、ともに現役が走行しているのは見たことありませんが、D52なら竜華でキャブに乗せてもらいました。今と違って、いい時代でした
峠の山賊さん、こんにちは。
C62はやめました。
Nゲージ進行中です。(^^;
貨物駅が活発だったころは大阪駅の北側に行くことは全然なかったのでどういう雰囲気だったか判らないんです。
自転車で舞洲に行った帰りに時々阪急の中津駅付近から見る景色に魅せられてます。
貨物線の向こうに大阪駅と高層ビル群が見えるのが好きなんです。
家が狭かったので模型を断念してもう数十年になり、専門用語が思い出せませんが、HOスケールでのナローゲージっていうのがあった思います。軽便鉄道や林鉄などを軌間9ミリでつくるやつです。
今ならベニヤ板1枚分ぐらいのスペースならなんとかなるので、Nゲージとかの話を聞くと、ちょっと心が揺らぎますね。DL1両と無蓋貨車1両だけ残してあるし。(爆)
峠の山賊さん、こんにちは。
今作ろうと思ってるのは900mm X 600mmの大きさのレイアウトを作ろうとしてます。
この大きさなら箪笥の上に収納しておけるので便利らしいです。
HOゲージって13mm位のだったと思います。
9mmがナインゲージでNゲージっていう規格です。
> 軽便鉄道や林鉄
まさにこれを作ろうと思ってます。
また市電で街並みを作れたらとも思ってます。
いろいろ探ってて木曽森林鉄道を移設したのが乗れるみたいなんです。
保津峡のトロッコ列車やりまだ狭い線路だと思うのですが行ってみたいと思ってます。
http://www.avis.ne.jp/~hinoki/page3_1_3_2.html
http://www.avis.ne.jp/~hinoki/index.html
なかなか面白そうですね。赤沢の復活林鉄はのったことがあります。では、もうちょっと濃い爆弾を投下(笑)
遠山森林鉄道です。
http://pleiades.la.coocan.jp/toyama/toyama.html
このサイトにでている本、貴重な写真も多く、なかなかイイですよ。木造トラスのループ橋やヘアピンカーブなど、レイアウトの参考になると思います。
で、市電のほうもよろしいなぁ。
峠の山賊さん、こんにちは。
エエ感じですね。
ビッグサンダーマウンテンの実物って感じですね。
クルクル半径の小さいカーブを組み合わせて楽しむのも面白そうです。
今年の1月に木造のトラス橋をSLで渡ってます。
これも楽しかったです。
http://www.rz250.sakura.ne.jp/blog/archives/2007/01/post_312.html
AUenoさん、リンク先拝見しました。本格的な木造トラスですね。それに、いかにもアーリーアメリカンって感じのロコ。観光用とはいえ、たいしたものです。
遠山森林鉄道のトラス橋は、ちょっと思い違いしていまして、下部の橋脚はコンクリート、上部の橋桁は木製でした。
廃止直後に、南アルプスからの下山で全区間約20キロを歩いたことがあります。途中、恐ろしく急なヘアピンカーブが6~7ヶ続くような箇所もあり、勾配でいえば、55/1000‰(約6%)だそうです。
木材を満載した下りの列車の運転は、さぞ怖かったろうと思います。
峠の山賊さん、こんばんは。
谷間の20kmって相当な距離ですね。
歩くのももちろん、鉄道を引くのは大変やったと思いますがそれでもその頃の林業は利益が出てたんですね。
AUenoさん、例の本よれば、建設着手は戦争中で、奥山にある良材を飛行機用に供給するためだそうで、採算度外視の突貫工事だったようです。
敗戦間際に完成したようですが、機関区の整備は間に合わず、当初、機関車の重整備は、ばらして木曾の上松まで運んだそうで、片道2日を要したと言うことです。いやはや。
峠の山賊さん、こんにちは。
国策ですか。
英国のモスキート双発爆撃機も木製やったらしいので起死回生の飛行機を作ろうと思ってたんでしょうね。