宝山寺へ初詣に行ってきた。
今年も楽しく過ごせますようにと10円で頼んできた。
めっちゃサブかった。
しかし案外と和服って寒くない。
足袋と雪駄のコンビに慣れないので歩くのは疲れる。
慣れて疲れなかったら京都とかにも行ってみたい。
羽織は特注の男気柄!!
宝山寺へ初詣に行ってきた。
今年も楽しく過ごせますようにと10円で頼んできた。
めっちゃサブかった。
しかし案外と和服って寒くない。
足袋と雪駄のコンビに慣れないので歩くのは疲れる。
慣れて疲れなかったら京都とかにも行ってみたい。
羽織は特注の男気柄!!
最近、おっさんの小さな心を揺さぶる商品企画が多いと思うな。
私は団塊の世代ではないが団塊の世代をターゲットにしたマーケティングが展開してるんやろか。
「ALWAYS 三丁目の夕日」の続編がもうすぐ封切られる。
昭和30年代40年代を思い起こさせられる。
町並みとかだけだったら良いがその町角で玩具をねだって寝転んだ事も思い起こさせられる。
ここに大人買いの芽がぷつっと出る。
寝転んで手足をバタつかせた頃の欲求はとうに満足してる。
ちょっと大きくなり分別が付いた後「欲しかったけど無理やと諦めてた物」が今になったら「買える」と思った時が危ない。
すでに大人買いしてしまったものは自転車のカンパの部品、一眼レフのカメラ。
フルレコードで揃えなかった事や、わざわざレンズの種類が少ないオリンパスを買ったのはまだブレーキが効いてると思う。
昨日のミーティングでスロットレーシングカーの話題が出た。
大流行したのは私が小学校の低学年だった時。
数年前からトイザラスなんかで玩具のスロットレーシングセットを目にする度に指をくわえて見てたのを思い出す。
もう一つは鉄道模型。
そのころNゲージは種類も少なく主流はHOゲージだった。
これは玩具を越えた値段やったから子供心に違うものと思ってた。
HOゲージは場所も取るからそうそう簡単には出来るものではなかったがNゲージは3X6のコンパネの面積で十分楽しめそう。
講談社の「昭和の鉄道模型をつくる」やデアゴスチーニの「週刊 蒸気機関車C62を作る」で鉄道模型が頭の中に居座ってる。
C62のほうは、写真では立派に見えるけど写真栄えしてるはず出来たらがっかりかもと考え自分的にはボツ出しできた。
講談社の「昭和の鉄道模型をつくる」は模型店で買うと半額くらいで出来るとか。
こっちはちょっとやばそう。
心にディスクブレーキを装備しとかんと。
今は夕焼けは大好きやけど子供の頃は大嫌いだった。
学校から帰り宿題をさっさと片付け母親に「遊びに行ってくる~」と言うと「暗なるまえに帰っといでや」という言葉を背中に受けてダッシュで遊びに行ってた。
夕焼けになると家に帰る時間なんで嫌いやった。
今は夕方のちょっと赤みがかった色で見る町並みが大好きなのはそのへんの思い出があるからかも。
四月が終わり五月にはいった。
去年、今年と四月には上のバナー画像にしてる。
さくらインターネットにblogを置いてる関係でCネーム+sakura.ne.jpとなる。
Cネームをsakuraでsakura.sakura.ne.jpにと思ったら使えませんと断られた。
でrz250.sakura.ne.jpになったしだい。
それならRZ250(写真の単車)と桜を撮っておこうとなりくろんど池で撮影した。
今年は、井手の地蔵禅院の桜を最初に撮りに行き大地にどっしり根を下ろした桜を追いかけて奈良・宇陀市を中心に走り回った。
なかなかまとめる事が出来ずにいる。
撮ってすぐはあれもこれもと思う気持ちで整理がつかない。
桜を追いかけるのが一段落ついた先週、同級生の訃報がはいった。
癌で病院に行った時には手遅れだったみたいで三月に入院して先週他界。
小学校が同じだったが同じ組になることはなかった。
そんな彼女との再会はテニスコートで。
テニスコートで再会というとロマンチックな感じかもしれないが実際は爆笑の再会。
クラブハウスでのその時の会話。
「上野君と違う?」
「どこでお会いしました?」
「旧姓やねんけど」
「旧姓さん?」
「近所に住んでたヤン」
「エッ!あの旧姓?」
「そうやん」
「昔は可愛かったのに!」
「あんたもおっさんになったな!」
回りも巻き込んで爆笑。
お互い小学校から記憶が止まってるので彼女は君づけで呼びよった。
再会後、ミックスの試合に出たりしてたが通ってたテニススクールのコーチ陣がクラブ側との折り合いが合わず総入れ替えになったのを機会に私はそのクラブに行かなくなり合う機会は年に一度会うかどうかになってた。
最後に会ったのは二年前の市民大会の会場で会話したのが最後になった。
まじめで気配りし過ぎだと思う位の女性だった。
病床では早く直ってテニスがしたいと言ってたらしい。
桜を48回見て旅立った。
私は後何回桜を見れるのだろう。
昨日、滋賀に叔父と従兄弟夫婦にお見舞い&挨拶に行って来た。
叔父は、少し体調を崩されてるが会うとすっごく喜んでくれた。
小さい時、プールや遊園地など遊びに連れていってくれた叔父でいつも私の事を心配してくれてた。
従兄弟の旦那さんとは面識はあったがあまり話しを出来てなかったので食事中話しが弾んだ。
従兄弟の旦那さんは叔父の事を大切にしてくれて感謝してもし尽くせないくらい。
昨日から世の中では三連休で近畿自動車道、名神高速とも渋滞の嵐。
大山崎から京滋バイパスで向かったが途中桂川の上を通過すると自転車がいっぱい。
エエ季節やもんな。
明日の午前中はちょっとだけ走る予定。
訃報を知ってから一夜が過ぎた。
色んな思い出が次々出てくる。
初めてお店にホイールの振れ取りしてもらいに行った時、近所の葬式の手伝いで出られてて少し待った後、汗を流しながら帰って来られた姿。
何かの都合で夜練の時、少し小さいフレームで走ってる姿を見て「サーカスのゴリラみたいやな」と私が言うと爆笑されてた姿。
1995年に大阪でAPECが有り車の規制がある中、大阪城公園の中で練習してて黒塗りの車列が私たちの隊列を抜かしていった後、眼を見開いて「凄いなー」と言われた姿。
兵庫県の春日にMTB&バーベキューに行き私が池に落ちた姿を見て爆笑されてた姿。
アズミノの大石さんを招いてサイクルスポーツセンターで講習会をやった前の晩、みんなで宴会したときに豪快に飲んではった姿。
ツアーオブジャパン堺ステージを一緒に見に行き逃げてた大石選手に檄を飛ばしてる姿。
振れ取り台を前にしてホイールを組んでる姿。
フレームにワックスを塗られてる姿。
完成後、体重にものを言わせ各部のチェックで思いっきりダッシュしていく後ろ姿。
器用にひらがなモードでキーボードを打たれてる姿。
もっと色んな場面が走馬燈のように出てくるけど書ききれない。
ほんまに悲しい。
いつもお店をあとにするときは外まで出てきて見送ってくださった。
松本さんの事を思うと涙が止まらない。
今はとてもお店にうかがうことが出来ない。
自分の気持ちが落ち着いたらお店にいくつもり。
自転車の世話をしてもらってる松本サイクルの松本さんが23日亡くなられた。
気づくのが遅れてお通夜や葬式にでれなかった。
もうかれこれ10数年前に古いロードをまた乗れるようにして貰おうとお店に行ったのが昨日のよう。
途中、私の体調不良等で自転車から離れてしまったがお店には顔をだしてた。
また乗ろうと思ったときには体調を崩され入院されてて慌ててお見舞いにいった。
一時退院されて元気になられたと思ってたのだが。
最後に声を聞いたのはコーラスのブレーキアーチが入ったと連絡頂いた電話の声が最後だった。
その時の声は、いつもの電話の声と同じで少し控えめな声。
お姿を見たのは3週間程前にお店に遊びに行ったのが最後だった。
写真は去年10月9日の舞洲クリテの時。
この優しい笑顔がもう見れないのはなんとも寂しい。
松本さんに身体を計って貰ってオーダーしたMURACAで秋リッツに出る。